中沢さんからの動画メッセージをぜひご覧ください!!
今年も中沢さんの農園にはおいしそうな桃がたくさん実をつけました。桃は古代中国では不老長寿の実として珍重されたといわれますが、高温多湿の亜熱帯気候の日本では病虫害の被害を受けやすく育てにくい果物です。そのため一般の農家では収穫までに農薬を20回もかけます。これでは不老長寿どころか早死しかねませんね。でも、中沢さんの桃は除草剤や化学肥料は一切使わない無農薬での栽培。ではどうやって病虫害を防いでいるのでしょうか?
中沢さんの桃づくりの苦労と工夫
桃のおもな病気は縮葉病、灰星病、線穴細菌病、うどん粉病、ススハン病、黒星病など。害虫は、アブラムシを始め、シンクイムシ、ハマキムシ、ハモグリガ、カメムシ、カイガラムシ、ダニほか数多くいます。無農薬栽培のために、中沢さんは独自に考え出した防除法を行っています。まず病気対策ですが、縮葉病には硫黄が効くので硫黄成分を水でうすめた液を
木全体にかけて予防。灰星病予防には1日も早く袋かけをして雨に当てないことが大切。収穫1週間前に袋を取り木酢液を水でうすめて木全体にかけます。木酢液はうどん粉病、ススハン病、黒星病などの予防にも効果があります。線穴細菌病は広がるのを避けるため病気にかかった実を見つけ次第、土中に埋めるより他はありません。害虫対策としては、カメムシは朝早く木をゆすって落ちてきたところを拾って退治。ダニは木が乾燥しないように水をかけることで発生を防ぐ。また冬の剪定のときに木にこびりついたダニをワイヤーブラシでこすって取るのも効果があります。アブラムシ、シンクイムシ、ハマキムシ、ハモクリガ、カイガラムシには木酢液、そして忌避剤としてトウガラシ汁を散布します。このようにさまざまな工夫と手間を惜しまない手作業による防除です。
自然農法を始めたきっかけ
中沢さんが自然農法を始めたのは、30年ほど前の出来事がきっかけです。「献血の時に血液検査をしたら血が薄くて献血できないといわれ、病院で追跡検査をしてもらったところ、原因は農薬だと言われショックを受けました。当時、西ドイツで作られたよく効く農薬が出回って、ホタルもイナゴもバッタも皆死んで自然の生態系が壊滅するほどの影響がありました」と。それでもほとんどの農家には背に腹は代えられないとばかりに農薬を使い続けていました。
「農薬をやめ、無農薬で最初は思うように作れなくて本当に大変でした。周囲の反対もありました。試行錯誤を続けて何とか自然農法による無農薬栽培がうまくいくようになるまで15年かかりましたね」と言葉少なにご苦労を語ります。中沢さんは桃の他、すももや干柿(枯露柿)を届けてくれます。ぜひ一度中沢さん苦心の賜物の桃を味わいませんか?
中沢さんの桃づくりのこだわり
①病害虫に負けない桃の木になるよう、土づくりに力を入れています。
②化学肥料・化学合成農薬は使いません。
③お客様に届いたとき、ちょうど食べごろになるように、桃は熟度70%のほぼ完熟状態で出荷しています。(一般市場では熟度50%での出荷がほとんどです)
④毎日桃の木に話しかけ声を聞きながら、我が子
のように大切に育てています。
5月中旬、弊社の仕入担当者とともに、「奇跡の桃」生産者・山梨県の中澤さんを訪ね、桃作りについて、お話しを伺いました。
●今はどんな作業をしていますか?
「寒波に耐えぬいた実がだんだん大きくなってくる5月の時期は、小さい実を取り、残った実にしっかり栄養がいくようにする摘果(てっか)作業。目で確認しながら1個1個実を取ります。ここでしっかりと見極めて摘果することが重要。」とのこと。
「今年は特に、残しておくべき実が少なくて、確実に収穫量は減るけれど、あとは桃の力を信じて、最後まで順調に大きくて美味しい桃に育ってくれるよう願うばかりです。」
▲正常に生育中の桃の実。
種が白く、順調に育っている証拠です。今年はこういった正常な実が少なく、厳しい年です。
▲寒波の影響を受けた実。
中の種が茶色く変色してしまっています。摘果作業で取り除きます。
▲取り除いた桃の実たちがこんなに!もったいない・・・。でも、美味しい桃を実らせるためには仕方がないのですね。
「幹の色が違~う!」
左は慣行栽培の桃の木、右は中澤さんの桃の木です。木の幹の色が違うのがお分かりでしょうか?
中澤さんは、病害虫を防ぐために、木の1枝1枝に、はけで硫黄を主体とした液を塗布。幹が白いのはそのため。無農薬の証拠です。無農薬での栽培で木の生命力を維持しつつ、病害虫を予防する方法です。
「野生桃の実で、丈夫な苗づくり」
いま接ぎ木用に育てている桃の苗。実は本栖湖(もとすこ)の湖畔にある、野生桃の群落で拾った実から育てているんです。これで丈夫な苗が育ちます。その苗を老木に接ぎ木します。
「畑の土がふかふか」
農薬を使わない中澤さんの畑の土は、微生物が
生きていて、歩くとふかふかしています。
「赤い芽、なーに?」
この赤いのは、桃の木の新芽。これが来年伸びて枝となりその先に桃の実がつきます。新芽はとにかく大切。桃の木を触るときは新芽を傷つけないように!
「中澤さんの手」
奇跡の桃を長い間作り続けてきた中澤さんの手。皺の一つ一つにこれまでの繊細なお世話と苦労が刻まれているようです。
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自然食品専門 オーガニックショップ 太陽
伝統的な醸造法を守りつついち早く有機しょうゆ造りに取り組んだ太陽醤油の蔵元「弓削多醤油」さんと、昭和5年の創業から70年以上にわたり、味噌作りの伝統を継承してきた太陽味噌の蔵元「新井武平商店」さんを訪ねました。
弓削多醤油さんを訪ねて・・・「皆さん今日は五感でしょうゆを感じて下さい!」
大正12 年創業の弓削多醤油は、埼玉県日高市と坂戸市にまたがって500m 程離れた場所に工場が隣接し、新しいしょうゆ蔵は見学しながら学べる施設「醤遊王国」として一般に公開されています。今回は4代目社長の弓削多洋一さんに醤油の原材料、造り方、丸大豆醤油って何?醤油の搾り方、木桶の秘密など興味深いお話を伺いながら見学しました。身近な調味料でありながら知らないことも多く、参加された皆さんも熱心に聞き入っていました。
「もろみの蔵に入ると、不思議と元気が出るんです。微生物がたくさん働いている空間では人間も気持ちが良くなるのでしょう」と弓削多さん。見学した私たちも五感で満喫し、とても満たされました。
<視覚> 微生物の躍動 もろみの発酵風景
<臭覚> これこそが日本の食文化の源!!
しょうゆ、もろみの蔵の香り
<聴覚> もろみの生きている音「ボコ、ボコ」
<味覚> しぼりたての生しょうゆ
(甘くてやわらか。最高の味!!)
<触覚> 木桶の歳月を感じるあたたかさ
新井武平商店さんを訪ねて・・・「数あるうちの味噌の中で太陽味噌は特別なんです」
埼玉県秩父郡皆野町。昭和4年にみそ製造業を創業した新井武平商店の3代目、新井藤治さんが工場を案内してくれました。新井さんの説得力のある話ぶりに、参加した方々もうなずきながら聞き入っていました。工場見学の後は、地域の人のために平成16年から解放しているというホールで昼食タイム。お漬物や自慢のお味噌汁の試食も頂き、心も体も満足のひと時を過ごしました。
粒みそは大手メーカーでは粒みそは作らないってホント?
こしみそと言うと上品で高級なイメージがありますが、いうなれば出来上がった粒味噌をこしたものです。一方粒味噌は出来上がった味噌そのままだから、大豆の旨みを存分に味わうなら粒味噌に限りますね。実は大手のメーカーでは、粒みそはほとんど作らないんです。なぜなら、出来上がりそのままを出荷するため、異物の混入などのチェックに手間を要しコストがかかります。新井武平商店さんでは、特別に用意した大豆の旨みを自然醸造で引き出した、最高のおいしさを味わってほしいという理由で、粒みそを提供しています。太陽粒みそは本当に貴重なものなのです。
●スタッフレポート●
太陽醤油、太陽味噌の蔵元見学ツアーに行ってきました。今回、会員の方々と共にスタッフも含め、35名で蔵元の弓削多醤油さん、新井武平商店さんに伺いました。当日の天候は予報通りの雨でしたが、不思議と太陽食品の行事って、雨が降っていても現地に着くと晴れてしまうんです。
蔵元へ行って太陽醤油の弓削多さん、太陽味噌の新井さんに会ってその人柄と伝統を守りながら合理化できるところは合理化し、80年、90年と守り続けている情熱を感じました。ユネスコで日本食が無形文化遺産になり、海外では日本食がブームになり、醤油も味噌も注目を浴びるようになってきていますが、当の日本人は醤油の消費量が毎年2%ずつ減っていると聞き、もっと普及しなければと感じました。
醤油も味噌も、国内産の大豆は貴重ですが、太陽食品ではさらに有機の大豆、有機のお米を手配して仕込んで頂いています。太陽食品専用の桶があり、見ると愛着がわきますよ。ツアー参加者の方々には゛五感”で感じて頂き、帰りのバスの中では皆さま良い顔になっていました。そういえば弓削多さんが「蔵の中に入るとな んとなく良いエネルギーをもらい、気持ちよくなるんです」とおっしゃっていましたが、そのせいかなと、今になって思います。
太陽食品 社員・浅田
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自然食品専門 オーガニックショップ 太陽
一年を通して有機野菜でお世話になっている大分県の佐藤さんは、昭和23 年に佐藤さんのご両親が入植して山を切り開いて作った広大な畑で、季節に合った旬の作物を井戸から汲み上げた地下水で育てています。有機JAS で認められている自然農薬も一切使わずに、肥料はボカシ(大豆、米ぬか等、植物由来のもの)をおもに使っています。
本物の「野菜」と「農業人」を育てる使命に心血を注ぐ。
「私の役割としては、安心して食べてもらえる野菜の収量を確保すること。そしてその野菜を作れる若手の農業者を育てること。」と佐藤農園さんでは、有機農業を学びたいという農業の研修生を受け入れて、畝の作り方、水のやり方など一から手とり足とり教えています。「若者を一人育てるのにどれだけの労
力が必要か。自分でやったほうが早いことのほうが多い。でもそうしたら意味ないですから。」
成功する有機農業人を育てることを自らの使命と自覚している佐藤さんの指導は決して甘いものではなく常に真剣勝負。「何も問題が発生しないより問題が起こった方がいい。色々考えてそれを一つ一つ克服していく充実感、それが農業なんだよ。」と有機農業者を志す若者に日々伝えています。
その熱意と生き方は野菜の味にもあらわれています。「理屈で人は動かない。おいしい!などと本物に触れた時に初めて人は心が動きます。私の役割は少しでもそういってもらえるものを作ることです」
2011 年8 月には木嶋博士と
佐藤さんの畑を視察しました。
2013 年11 月の生産者と消費者
の集いにも初参加されました。
生産者の佐藤さんにお聞きしました!
■有機農法を始めたのは?
父親がやっていて父親の死後受け継いだ。父親の代を含めると35 年以上、自分が始めて約20 年。
■農業を始めて感動したことは?
いっぱいありました。自然の理 ー 全てはこの仕組みの中でしか人間も生きてゆけないということを、育っている作物から学んだ事。
■農業で大事にしていることは?
出来るものを、出来る時に、出来る所で作る(適地適作)どこまでも人が自然に合わせてやる。うまく行かなかった時は上の3条件の中に問題がある。時期を変えたり、作る畑を変えたり、とにかく作物が育ちやすい環境を整える。
■好きな言葉 『われ、ひとと共に繁栄せん』
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